戯画調査隊

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『やがて君になる』6話 侑と燈子を隔てる、分厚く不可解な境界

 『やがて君になる』6話では、侑と燈子を隔てる境界が、さまざまな要素を用いて描かれていました。

 一本の線で境界が描かれるだけではなく、多数の線や、幅や厚みのある構造物、さらには音韻や陰影によっても境界が描かれています。

 

 はじめに登場する境界から、実に仰々しいです。侑と男性教師を隔てるように映される、学校の外壁と水道管です。

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 このカットでは校舎の外にカメラを置いて、外壁と水道管を画面の中央に来るように映しています。その両脇の窓越しに資料室の中が覗いて見えていて、室内の左に侑、外壁を挟んで右に教師がいるという、印象的なカットです。

 外壁がその分厚さをもって、侑と教師を力強く隔てています。また外壁だけでは境界の演出であることが伝わりにくそうですが、その真ん中に水道管が走っていることにより、境界の描写であることが明示されています。構造物を利用した演出の計算高さに、舌を巻くばかりです。

 実際のところ郁と教師は同じ資料室の中で向き合っていて、二人の目の前には隔てるものが何もないはずです。しかし二人の間の空間が、私たち視聴者に対しては遮蔽されています。そこに何かが隠されているかもしれないという感覚が不気味さを際立たせます。

 外壁によって隠されているように感じられるものは、燈子の姉にまつわる事情ではないでしょうか。それを教師は知っていて侑は知らないということが、二人の間の隔たりです。

 燈子の姉が文化祭で劇を演じようとして、それを果たせずに亡くなってしまった。燈子は姉が果たせなかった願いを叶えようとしている。燈子の重苦しい実情に、侑は初めて向き合うことになります。侑が感じる重圧と不安を、分厚く寒々しい外壁が物語っているようです。

 

 廊下で教師が侑に燈子の姉のことを語るシーンでは、窓枠が境界線として侑の前を遮っています。

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 次に廊下を歩いていく侑を、またも校舎の外から映したカット。

 侑が複数の窓枠を横切っていきます。事情をなかなか語らず他者を寄せつけない燈子の内面に、侑はなんとか近づいていこうと模索する。そんな侑の果敢さが感じ取れます。

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 次に登場する境界は、踏切にある幾重もの線です。

 架線に電柱、遮断桿とそれに付属する布。画面が多数の線によって、これでもかとばかりに覆い尽くされています。

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 そして次のカットでは、踏切を渡る郁と燈子が横から映されています。線路が境界線になっているだけでなく、背景にある何本もの架線や柱のうちのいずれかが、一緒に歩く郁と燈子の間に入り込んで、常に二人の間を隔てています。近くにいるにもかかわらず隔たりがあるという、絶妙な境界になっています。

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 電柱と電線、街灯も、多数の線でできた境界となっています。

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 次に川のカット。川や橋や飛び石といった、境界の役割を果たすものばかりでできた舞台です。

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 川岸に向かって階段を降りていく燈子が、侑に呼び止められて振り向きます。ここで二人の顔に差した光と影の線も境界線のように見えます。

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 階段のそれぞれの段差も、多数の線でできた境界になっています。また侑と燈子の立ち位置の高低差、という境界もあります。

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 侑が燈子の姉のことを知ってしまったことに燈子は失望し、飛び石を渡って対岸へ向かっていきます。飛び石を一つ飛ぶごとに、燈子は侑との間に境界線を増やしていきます。また背景にある橋脚も、幅と厚みをもった境界になっています。

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 このシーンでは視覚以外の要素でも境界が描写されています。

 飛び石を渡る燈子の足音は、トタッ、トタッ、とステップを踏んだリズムになっています。それに対して階段を降りてくる侑は、トタトタと連続した普通のリズムの足音を立てています。

 「飛び石を渡る足音のリズム」というものは、日常の中では珍しいもので、これも燈子が侑を拒絶するための境界として作用しています。

 

 そして侑と燈子の隔たりが決定的になるシーン。

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 「そんなこと死んでも言われたくない」と燈子が侑を突き放すと同時に、燈子の顔が陰に覆われます。「光と陰の移ろい」という捉えどころのないものまで、境界となり侑と燈子を隔ててしまうのです。

 この陰の正体が橋の上を走る電車のものであることは、踏切の警報機の音や走行音、そして次のカットで電車本体が映されるよってわかります。しかし電車が陰の描写よりも後に映されるという順番によって、得体の知れないような感覚が引き立っています。リアリティの説明を後に回すと、現実の物事でもファンタジックな演出になるという好例です。

 また陰が差すという描写だけでは、境界の表現として読み取ることは難しいところです。しかしこのシーン以前にいくつも境界の描写を積み重ねてきたうえで、侑と燈子の隔たりがセリフによって決定的になる場面で描かれているので、この陰が境界の表現であることは明確に伝わります。捉えどころのない境界がたしかに存在していることを見せつけられて、侑がこの境界を越えることなど不可能ではないかと思わされます。

 

 しかしながら、このあと侑は境界の性質を逆手に取って、見事に燈子の側に立ってみせます。境界をかいくぐる侑の秀逸な手練手管についても、今度書いてみたいと思います。