戯画調査隊

アニメを観て思ったことをひたすら書いていきます。本について書くこともあるかも?

『リズと青い鳥』の魅力:人の奥深さはかわいいもの

 『リズと青い鳥』を観てきました。『響け!ユーフォニアム』シリーズは小説も読んでアニメも観て、3年間向き合い続けてきたのですが、本作でついに鎧塚みぞれの内面に触れることができたように思います。

 

 みぞれと希美は『響け!ユーフォニアム』シリーズの登場人物の中でも魅力的な2人なのですが、なにせ抱えている感情が重いために、小説もアニメも持て余してきました。小説では久美子からの客観的な視点で書くしかないし、アニメでもこの2人を描き切ったら本筋のストーリーが破綻してしまう。

 『リズと青い鳥』はそんな2人を主人公として、とことん深く内面を描いてくれました。校舎前で待つみぞれのところに希美が現れたとき、鉄琴と木琴が弾むように鳴ったところで、「あ、ここにみぞれがいる!」と感じました。

 今まで余白として想像するしかなかったみぞれの内面が、たしかな形をもって表現される日が来るとは。みぞれが好きで『響け!ユーフォニアム』を読んできたので、とても感慨深いです。

 

 そんな『リズと青い鳥』を宣伝すべく、本作の映像作品としての魅力を率直に、かついろんな権威を借りて(^^; 語ってみたいと思います。アニメを普段観ない人にも伝えるつもりで書きました。

 

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言葉にできず、表情にも表せない心情を描く

 本作の魅力を一言で言うなら、「言葉にできず表情にも表せない心情を、たしかな形をもって表現していること」です。

 しかも鎧塚みぞれという無口で無表情な子の内面を、柔らかくみずみずしいものとして描いているのです。表に出せない感情だからといって、堅苦しかったり醜かったりするとは限りません。

 

「かわいい」の天才:山田尚子

 なにせ本作の監督は、『けいおん!』でデビューした山田尚子監督です。奥深い内面だってかわいく描いてしまいます。

 山田尚子が描く「かわいい」という概念は、私の知る限りのアニメ、いや近年の日本文化においても、最も奥深いものの一つだと思います。多くの人が知っている表現としては、美空ひばりの「愛燦燦」の歌詞、「人はかわいい かわいいものですね」に近いものだと思います。

 

 『けいおん!』の監督というとアニメをあまり観ない人には軽く思われてしまうかもしれませんが、山田尚子監督はいまや日本において最も評価されているアニメ監督の一人です。しかもまだ30代前半の若手です。アニメ作家に関心のある人で、山田尚子に注目していない人はいないでしょう。

 受賞歴を見れば一目瞭然です。『映画けいおん!』はアニメーション神戸賞・作品賞、『たまこラブストーリー』で文化庁メディア芸術祭アニメーション部門新人賞、『映画 聲の形』で日本映画批評家大賞アニメーション部門作品賞および文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞など、今までの劇場作品がすべて高い評価を得ています。

 

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萌えという様式

 さて、言葉にできない心情を描くということは、近年の数々のアニメ作品が目指してきたことです。

 言葉にできない心情を描くなら、実写で俳優の表情によって表わせばいいではないかと思われるかもしれません。それも一つの方法ですが、それで完全なリアリティを達成できるわけではありません。現実の人間の表情はイミテーションを含み、心情をそのままに表しはしないからです。

 現実の人間である俳優が、豊かな表情でありのままの内面を表してしまうと、少なからず現実を歪ませた表現になってしまいます。そのことへの批判として、実写映画でも表情を変えない作風が作られ、あるいは能のように面を被った役者が多様な心情を表現する、ということが行われているのです。

 

 アニメにおいて言外の心情を表すために主に用られてきた手法は、「萌え」という様式、およびそこからの逸脱です。

 まずは感情をそのまま表に出すことが許される、「少女」という存在を作ります。少女という虚構が許されるのは、その容姿が現実の人間とは違う、絵であるからということも要因の一つです。

 その少女に普段は型にはまった表情をさせるのですが、ここぞという場面で型になかった生々しい表情を描く。そのギャップによって、言葉と、現実の人間の表情という二つの制約を越えた心情を表現してきました。

 

 しかしこの表現方法も、ギャップを利かせるために普段はテンプレートな表情を描いたり、冗談めいた何気ないやりとりをさせたりという準備が必要です。そうなると、常に生の感情をもって生きる人間、というものを表すことはできません。

 ちなみにこの表現に特化して、最高に深い生の感情が表れる一瞬を描くのが、『さよならの朝に約束の花をかざろう』の岡田麿里だと思います。

 

緻密な作画は豊かな心情を証明する

 しかし山田尚子監督は別の方法を探してきて、本作でまた一段と洗練した表現に至りました。

 本作でもキャラクターデザインには萌えの要素があるのですが、萌えをテンプレートとして使うことは極力控えています。

 

 では『リズと青い鳥』では、何を用いて内面描写をしているのか。

 ひとつは緻密な作画です。キャラクターの目や顔の輪郭などの線を細やかに動かし、その動作によって視聴者の感覚に訴えています。アニメーションの基本的な方法ではありますが、線の動きの密度と的確さが群を抜いています。

 また主人公のみぞれを取り巻くものを、細やかに豊かに描いています。みぞれが餌遣りをするフグは透明なひれの動きまで見て取れますし、オーボエのリードを自作する手つきも指先に至るまで繊細です。

 このような緻密な描写が、みぞれが見ている小さな世界も豊かであることを示し、静かな中にも充実していてみずみずしいみぞれの内面を表しているのです。

 

偶然性の音楽

 もうひとつは音です。

 みぞれと、彼女が一途に想う相手である希美の内面を、彼女らの感情の動きに合わせて音符を落としたような楽器演奏によって表現しています。アドリブのように鳴らされた音は、ひとつでも違う音色やタイミングであったら物語が成立しなくなるくらいの、絶妙なバランスで演奏されています。

 そして2人の感情の音は、なかなか合わずにすれ違うのです。みぞれのオーボエと希美のフルートの演奏はピッチが合わないし、2人の靴音はテンポがずれてしまう。しかし一瞬だけ重なり合う瞬間が訪れ、その幸運が感動を誘います。

 この音による表現は、ジョン・ケージの偶然性の音楽をオマージュしているものと推察されます。私は音楽にそれほど詳しくなく、書籍『表象 構造と出来事』を読んだだけの知識なので、この推察にどこまで信憑性があるかはわかりません。

 ただパンフレット上にて山田尚子監督が、「耳障りだと思うような音の中からでも純粋なうつくしい音を抽出したい」と語っています。また評論家の飯田一史さんもツイッター上にて、ジョン・ケージの書籍に『小鳥たちのために』というものがあることも挙げて、本作がジョン・ケージをオマージュしている可能性に言及しています。

 偶然性の音楽は理解しにくいものかもしれませんが、アニメの要素として盛り込まれると、親しみやすくその魅力が発揮されるのかもしれません。

 (※2018/5/7追記:以下のインタビュー記事でも、ジョン・ケージの偶然性の音楽について言及がありました。)

 

表象―構造と出来事 (表象のディスクール)

表象―構造と出来事 (表象のディスクール)

 

 

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画面と音のすべてを味わいつくそう

 以上のように、緻密な作画と趣向を凝らした音によって、言葉にも表情にも表せない心情を描いたのが『リズと青い鳥』です。

 本作を鑑賞する際のポイントとしては、まず動いている線に注目してほしいです。瞳やまぶた、あごの輪郭などの線が動いているところには、すべて重要な心情が込められています。

 また被写界深度による表現もあるので、画面の中でピントが合っているところと、逆にすごくボケているところもよく見るのがいいと思います。みぞれの認識に何が映り、何が興味の外にあるのかが読み取れます。

 

 もっともアニメにおいては映るすべてに意味があります。特に山田尚子監督は画面のすべてに意味を込めることの天才です。大変な情報量で描かれていますが、一切無駄なくすべてに読み取るべき感覚があります。

 上述のように、感情に合わせた音の表現も楽しめればいいと思います。

 他にも劇中劇でリズと少女の二役を演じた本田望結さんの演技や、みぞれと希美の足先の動き、互いに素のモチーフなど、語るべきことはいくらでもあります。しかしそれはまたの機会にします。

 これだけ語っても、本作の表層をさらったに過ぎません。恐るべき映画です。