戯画調査隊

アニメを観て思ったことをひたすら書いていきます。本について書くこともあるかも?

『さよならの朝に約束の花をかざろう』レイリアについて 因果の量子化?

※この記事は『さよならの朝に約束の花をかざろう』(以下、『さよ朝』)のネタバレを含みます。ご了承の上お読みいただければ幸いです。

 

『さよ朝』でレイリアがあれだけ会いたいと願っていた娘のメドメルと邂逅したところで、別れることを決意して祈りの塔から飛び立ったシーンは、感動しつつも解釈に苦しみました。観終わった後も何度も反芻して、もう一度観て考えて、ようやくある程度形のある解釈に至ったので書いてみたいと思います。

 

といっても、その解釈というのは「答えがない」という答えです。「因果の量子化」とでも言えそうなストーリー構成によって、レイリアの行動の是非を観客がどう解釈しても許されるようになっている、という結論に至った次第です。

 

 レイリアがメドメルと別れるに至った原因としては、彼女がメザーテの王宮に囚われてしまったという不遇か、もしくは勝気で周囲と不和を起こしやすいという彼女の未熟さのどちらかに原因を求めたくなります。しかし、レイリアがもし不遇でなかったとしたら、あるいはもし未熟でなかったとしたらというifを考えても、やはり彼女はメドメルと一緒の道を歩むことはできそうにないのです。

 

 まずレイリアがさらわれなかったり、あるいはメドメルを産む前に脱出できるだけの度量が彼女にあったりした場合は、もちろんメドメルは産まれてきません。

 またメドメルが産まれた後にレイリアが脱出するとしても、メザーテから追われる危険のあるところにメドメルを連れて行きはしないでしょう。さらに言えば脱出するにはクリムを頼るしかありませんが、クリムはメドメルの存在を認めません。なおさら脱出するならメドメルとの別離は避けられないのです。

 もしくは境遇に恵まれてレイリアがメザーテ王室の一員として受け入れられたとしたら、戦争の際に王や王子たちと一緒に逃げることになり死んでいたと思われます。

 このようにレイリアが不遇でなかったり未熟でなかったりしたら、より確実にメドメルと別れることになりそうなのです。

 

 レイリアが不遇で未熟であったからこそ、祈りの塔の上でメドメルと再会し、一緒に歩めるかどうかの際まで至ることができたのです。そこでレイリアが別離を選んだことは、結局のところレイリアとメドメルが言葉を発したタイミングの問題で決まっています。

 

 レイリアはメドメルに呼びかけようとして、その直前にメドメルから「誰…?」と言われてしまうまでは、メドメルただ一人を自分と一緒にいるべき者として求めていました。しかし「誰…?」と問われてしまったことで、レイリアはメドメルと異なる時間を歩んでいたことを悟ります。自分はメドメルに必要とされる存在ではなかったと気づくのです。

 しかしその直後に、メドメルは目の前に立っているのが自身の母であることを察し、慌てて呼びかけようとします。しかしその呼びかけに僅かに先んじて、レイリアが別離を宣言して飛び立ってしまう。※)はじめのレイリアの呼びかけが、あるいは次のメドメルの言葉が少しでも早ければ、共に歩む道を選べたかもしれない。最後の最後は言葉のタイミングという、確率的なことによって別れることに決まってしまったのです。

(※追記:上記誤りがありました。もう一度観てみたところ、メドメルは「お母さん」と呼びかけていましたね。メドメルからの呼びかけの前に、レイリアの意志は決まってしまっていました。)

 

 このように共に歩むか別れるかという二者択一が結局は確率の問題で決まりましたが、そのような結末を創作者である岡田麿里は確定的に書いています。だから観客はレイリアの振る舞いについて、その原因も含めて解釈することを求められます。しかしストーリー上は確率によってもたらされた結末なので、観客がそれぞれに解釈を下すまでは、その答えは確定せずにゆらいでいるのです。

 このことをもって「因果の量子化」と言っています。(ただ脚本の技法として既存の用語があるかもしれないので、もし知っている人がいたら教えてほしいです(^^;)

 

 物語の読み方は人それぞれでいいとはよく言われますが、どんな読み解き方も容認されるようにとことん綿密な構造でストーリーを組むところが、岡田麿里の真骨頂ではないかと思います。

 レイリアについて観客がどのような答えを出しても、それは正しいことになります。レイリアを許してもいいし許さなくてもいいし、救われてもいいし憎んでもいいわけです。

 

 なおストーリーの見せ方として、レイリアの行動はたしかに未熟なものとして描かれていますが、同時に彼女を許す描写もあります。

 まずメドメルの「お母様って、とてもお綺麗な方なのね」という言葉と、マキアの「大丈夫。絶対に忘れないから。」という言葉によって、レイリアの行動がただの放棄として割り切られないようになっています。そしてレイリア自身がメドメルを産んで彼女を想った日々のことを、決して忘れられないということによって、レイリアの歩みは無価値なものにはならないのです。

 どんな不格好な形であれ、イオルフの長老ラシーヌの「外の世界で出会いに触れたなら、誰も愛してはいけない。愛すれば本当のひとりになってしまう」という言葉を、レイリアもその生き方によって否定したことに違いはありません。

 

 最後に余談ですが、メドメル役の久野美咲さんの演技もすばらしかったです。

 言葉数は少ないですが、絶妙なニュアンスが込められた一言一言に圧倒されました。祈りの塔の上でレイリアに会う前に言った「ここを降りれば今までとは違う日々が待っている。それでも、私は…」という言葉は、最後の「は」の一音だけでメドメルの前向きな力強い意志を表現しています。

 そして「お母様って、とてもお綺麗な方なのね」というセリフも、言葉そのものだけではレイリアを容認するものにはなりません。少しでも強めに発音されていたら皮肉交じりの非難になってしまっただろうし、逆に弱弱しく発音されたら傷心的な諦めに聞こえてしまっていたでしょう。

 メドメルがレイリアの決断を必死に理解しようとしつつ、レイリアという母のことを受け容れていることが、久野さんのぴったりのニュアンスの演技によって表現されていました。